プロフィール
歴史大好き、東京タクドラ:Riccaです。
普段は東京の街を走るタクシードライバーとして働きながら、日本各地の歴史や記憶を旅しています。
今回は原爆の日を前に、広島の「相生橋」や爆心地を実際に歩き、心に刻まれた体験を記録として残したいと思いました。
場所・アクセス
広島市は中国地方の中核都市で、瀬戸内海に面しています。
東京からは新幹線で約4時間、飛行機なら広島空港経由で市内までリムジンバスで約45分。
市内には路面電車やバスが張り巡らされており、原爆ドーム、相生橋、平和記念公園など主要スポットへもスムーズにアクセス可能です。
見どころ
広島市は、原爆の悲劇を今に伝える場所でありながら、復興と平和の象徴として世界中の人々に知られる街です。
相生橋は、広島電鉄の線路が通る三叉路に架けられた橋で、米軍が当初の原爆投下目標に定めた場所とされます。
橋の上から見える穏やかな川の流れと静かな街並みに、東京では味わえない空気の重さと優しさが同時に感じられました。
Riccaコラム:相生橋を見つめて涙した日
米軍が広島に投下した原子爆弾「リトルボーイ」は、元安川を挟んだ向かい側にある『島病院』の上空およそ600メートルで炸裂しました。
けれど、当初の目標地点はそこではなく、広島電鉄の線路が通る『相生橋』だったといいます。
三本の川が交差する、広島独特の地形に架かる相生橋。
この橋を破壊し、逃げ場を断つことで、できるだけ多くの市民を被爆させ、人体への影響を「統計として取る」意図があったという話を、現地で伺いました。
あまりにも非人道的な戦略に、私は言葉を失いました。
私が原爆の存在を初めて知ったのは、小学生の頃に読んだ『はだしのゲン』でした。
当時は戦争というものがどこか遠い時代の話のように思えていましたが、「ピカの毒(=放射能)」という言葉に震え、表紙すら見られなくなるほどの恐怖を感じたことを今でも覚えています。
大人になって、初めて広島を訪れたとき、平和記念資料館で目にしたものは、想像を遥かに超える現実の記録でした。
「これは本当に現実だったのか?」と、自分の目と心が疑うような、凄惨な記憶の数々でした。
あれから20年が経ち、子育てを終えた今、私は再び戦争について深く考えるようになり、昨年、もう一度広島を訪ねました。
旅の中で私が強く感じたのは、「原子爆弾が奪ったもの」の大きさでした。
一瞬で人の命を奪い、街を焼き尽くし、自然も文化も歴史も、そしてこの美しい土地の風景そのものを、汚してしまった。
その前に立たされたとき、人間の脆さ、愚かさ、そして恐ろしさを突きつけられた気がしました。
「これをどう受け止めればいいのか?」
そんな問いが胸に湧いてきて、今も明確な答えは出せていません。
そして、忘れられないのが相生橋の風景です。
広島平和記念資料館で購入した図鑑に載っていた爆心地の地図を思い出しながら、私は現地を歩きました。
穏やかな川が流れ、緩やかな曲線を描く橋が空を映し出す。
そこに立ったとき、私の頬を伝った涙は、怒りだったのか、悲しみだったのか、もう分かりませんでした。
ただひとつ確かに感じたのは、広島の人たちが持っている、強さと優しさです。
戦争と核の悲劇に向き合いながら、それでも前を向いて生きるこの街には、特別な力が宿っているように思いました。
広島って、本当に素敵な日本の町なんです。
だからこそ、この町の美しさを、決して失ってはいけないと強く思います。
少し重たい話になってしまいましたが、こうして旅を通して日本の魅力や、そこで生きる人々の思いを、これからも伝えていきたいと思っています。
アドバイス
平和記念公園や相生橋などを訪れる際は、事前に地図で「地形」と「爆心地の位置関係」を把握しておくと、現地での理解が深まります。
また、現地ガイドツアーに参加することで、公式サイトでは得られない「人の記憶」や「土地の声」を聞くことができ、旅の価値が何倍にも膨らみます。
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