プロフィール
歴史大好き、東京タクドラ:Riccaです。
日々は東京都内を走りながら、日本各地の歴史や土地の背景に惹かれて旅を続けています。
今回は、原爆の日が近づく広島を訪れ、実際の爆心地や平和記念公園を歩いてきました。
場所・アクセス
広島市は中国地方に位置し、瀬戸内海に面した中核都市です。
東京からは新幹線で約4時間、または飛行機で広島空港まで約90分。空港から市内まではリムジンバスで約45分です。
市内は路面電車が発達しており、平和記念公園や原爆ドームも公共交通機関で簡単にアクセスできます。
見どころ
広島市は、太平洋戦争末期に原爆投下を受けた地として世界的に知られています。
原爆ドーム、平和記念公園、資料館といった施設は、「核兵器のない世界」を目指す象徴でもあります。
市街地には6つの川が流れ、川に囲まれた独特の地形と自然が今も残る一方で、近代都市としての機能も備えています。
現地では、都市の静けさや潮風の香り、東京との空気の違いを強く感じました。
Riccaコラム:原爆の日に、広島を歩いて感じたこと
今日は8月6日。 広島に原子爆弾が投下されてから、80年を迎える日です。
1945年8月6日午前8時15分。米軍の爆撃機「エノラ・ゲイ」から投下された原子爆弾「リトルボーイ」は、広島市中区大手町の島病院の上空約600メートルで炸裂しました。人類史上初めて、実戦で使用された原子爆弾です。
原爆ドームばかりが注目されがちですが、実際には広島の街全体が壊滅しました。人も、建物も、自然も、一瞬で焼き尽くされたのです。
私は、2024年9月28日から30日まで広島を訪れました。平和記念公園を歩き、原爆ドームを見上げ、現地ガイドの方に案内されながら、実際の爆心地である島病院の前まで足を運びました。当時、病院とその周辺は、爆風と熱線によって完全に破壊され、鉄筋コンクリートの建物すら耐えきれず、推定3,000〜4,000℃の高熱で焼かれました。患者も職員も、ほとんどの命が一瞬で奪われたといいます。
それでも、奇跡的に往診に出ていた院長は助かり、戦後に病院を再建したそうです。ガイドの方は「私たちが小学生の頃には、二代目の院長先生がよく式典などで挨拶されていたのよ」と、地元の温かな記憶を話してくれました。
島病院は、今も「爆心地の碑」とともに、原爆の悲劇を語り継ぐ場となっています。
原爆ドームが建っている場所は、川に囲まれた特異な地形にあります。なぜこの場所が狙われたのか──それは、「統計を取るために、人々が逃げられないように」と、戦略的に選ばれたとも言われています。
都市の中心部。通勤する人々。逃げ場のない川。まさに「最大の被害を可視化するため」の選定だったとすれば、それはあまりにも非人道的な判断です。
けれども、広島を実際に歩き、風を感じ、石碑に触れたからこそ、その重みと痛みを、単なる「記録」ではなく「体感」として心に刻むことができた気がします。
今朝は、原爆投下の時刻である午前8時15分に合わせて、東京から黙祷を捧げようと早起きしました。
この文章は、静かな祈りとともに綴った、私の旅の記録です。
読者からの情報・コメント
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ようこそ広島に!今日は一日中悲しい気持ちで過ごします。多くの方がなくなり、その魂がたくさん浮遊している様です。少し敏感な方は体調を崩す方もいらっしゃいます。私もお塩を持参します。忘れてはいけない事ですが、最近は原爆資料館や平和公園が名所化され黙祷の場所でなくなっている事が残念です。夜は川で灯籠流しもあります。またいらして下さい。限りある命を一生懸命に過ごしたいと思います
長崎市在住です。広島も長崎もなんの罪もない一般の人々が、80年前に生きながら一瞬にして身体を焼かれるなどという、想像のはるかに上をいく残酷な思いをさせられました。😭
後の世に生きる私は、もう二度と過ちを繰り返さぬよう誓いながら黙祷をしました。
こうやって広島での原爆のことをご紹介いただいて、ありがとうございました❗️😊🌸
県外の方が深く広島を理解して、このような投稿をポストしてくださり本当にありがとうございます。私は20年東京に住んでいました。その間8月6日のテレビやニュース、報道の在り方が余りにも少なく軽い扱いに感じてがっかりしたものです。東京大空襲だって酷い被害だった
広島ばかり特別に言うな、と言った人もいました。空襲が大した事ないなんて思っていませんが、広島・長崎に使われた原子爆弾の放射能が何十年に渡って被爆者を苦しめ影響が続きます。そこが違う。『広島・長崎』が、ではなく同じ日本人として『日本』の括りで考えてもらいたい、そう思っています。投稿をありがとう🙏
私も島病院の跡地に行って、悲惨さに涙しました😢
旅を楽しめる生活どころか、高温の熱風で焼かれて、終わらざるをえなかった、広島の人々。もし、その人たちが、今、言葉をはなせたら、原爆の恐ろしさを伝えたいでしょうね。そして、自分と同じ苦しみを味わう人がいないような世界を強く望まれるてしようね。誰もが、美しい世界を楽しむことができる世界を望まれることでしようね。
原爆の日に貴重な投稿ありがとうございます。私も一昨年広島を、14年前長崎を訪ねました。子供の頃からずっと平和学習を通じて、原爆の恐ろしさ、被害を知っていたつもりでしたが、原爆資料館の展示を見て、やはり被爆地に実際に足を運ばない限り知り得ないこと、感じ得ないこと、わかり得ないことがあるのだと実感しました。緑あふれる美しい街が、たった80年前は阿鼻叫喚の生き地獄だったことが、にわかには信じられず、焼け野原となった故郷をここまで復興するのに、どれだけの途方もない苦難を乗り越えてこられたのか、その方々の血の滲む努力のおかげで、今私たちが、穏やかに暮らせているのだと思い知りました。原爆投下を正当化する動きは一向になくなりませんが、どんな理由があったにせよ原爆は純粋悪、決して許してはならない。唯一の戦争被爆国日本の市民として原爆廃絶を、そしていかなる戦争もあってはならないという声を上げていかなければならないと思います。
まとめ
広島を実際に歩くことで、歴史の重さと、今を生きる街の強さを肌で感じることができました。
先入観だけではわからない、本当の「広島」を知るためには、やはり自分の足で立つことが大切だと思います。
次回は、夕暮れ時の平和公園と、夜に訪れた広島城の静けさについてご紹介します。
→ 旅はこちら
アドバイス
平和記念公園や原爆関連の史跡は、できれば現地ガイド付きのツアーを利用するのがおすすめです。
知識だけでなく、地元の人の視点や感情が加わることで、旅が一層深まります。
また、訪れる際は「黙祷の時間(8:15)」を意識して旅程を組むと、心の準備にもなります。
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