【広島・原爆ドーム】平和を見守る瓦礫の遺構 ─ 被爆少女の日記が未来に紡ぐ

中国・四国

プロフィール

歴史大好き、東京タクドラ:Riccaです。東京の街を走りながら、全国の歴史スポットを巡るのがライフワーク。今回は20年ぶりに訪れた広島で、改めて「原爆ドーム」と向き合ってきました。

場所・アクセス

原爆ドームは、広島市中区の平和記念公園内に位置し、市内観光の中心スポットです。JR広島駅から路面電車(広島電鉄)で約15分、「原爆ドーム前」電停からすぐ目の前にあります。市内観光の起点としても便利な場所です。

見どころ

原爆ドームは、1915年に建設された「広島県物産陳列館」が前身で、モダンなレンガ造りとドーム屋根が特徴的な建築でした。1945年の原爆投下によって大きく損傷しながらも、中央のドーム骨組みは残りました。被爆建物としての保存運動を経て、1996年には世界遺産に登録。今もなお、原爆の恐ろしさと平和の尊さを後世に伝える「証言者」として静かに佇んでいます。

Riccaコラム:世界遺産に込められた未来への証言

2024年9月28〜30日までの広島ひとり旅。今回は、原爆ドームについて書いてみます。

初めて見たのは20年前。約30年前に世界遺産に登録され、その頃も「広島=原爆ドーム」と思い浮かべるほどの存在感。

若かりし私は、隣の県に住むネット友達にこう尋ねました。

「ねぇ、原爆が落ちた日にはこの建物がすでにあったから、原爆の様子が分かるんだよね? それなのに原爆ドームって名前なの?」

その人はひと言、
「そんな事、知らないよ。考えた事もないし」

平和記念公園の一角に立つ、骨組みだけの円蓋。今では「原爆ドーム」として世界中に知られるこの建物も、かつての名は「広島県物産陳列館」でした。

1915年、大正モダンの象徴ともいえるこの建物は、バウムクーヘンを日本で初めて販売した場所としても知られています。戦前の華やかさ、戦中の暗転、そして1945年の原爆——

爆心地の島病院からわずか160メートル。一瞬で内部は焼け落ちましたが、ドームは立ち続けました。

終戦後、多くの人が復興に向かう中、原爆の記憶を「残したくない」と思う人もいたこと。3人に1人はこの建物の取り壊しを望んだといいます。

しかし、16歳で亡くなった楮山ヒロ子さんの日記がきっかけとなり、学生たちが署名や寄付活動を展開。1967年、初の保存工事。そして1996年、ついに世界遺産へ。

私は今、楮山ヒロ子さんが亡くなった歳から30年が経っています。原爆ドームを見上げながら、「平和って本当に素晴らしい、絶対に守らないと」と、強く感じました。

アドバイス

  • 原爆ドームは朝夕の時間帯に訪れると、観光客も比較的少なく、静かに向き合えます。
  • 資料館や平和の鐘など周辺施設も併せて回るのがおすすめです。
  • 「戦争の記憶」として重たい印象もありますが、街自体はとても明るく穏やかです。

読者コメント

皆さんにとって「原爆ドーム」はどんな存在ですか? 実際に訪れたことがある方も、まだこれからの方も、ぜひ感想や印象をコメント欄にお寄せください。

まとめ

原爆ドームは、破壊の象徴でありながら、希望の象徴でもあります。時代が進んでも、未来に引き継ぐべき記憶として、こうして遺ってくれていることに感謝です。

次回は、夜の平和記念公園の景色をお届けしたいと思います。

→旅はこちら:広島の旅シリーズ一覧

コメント

タイトルとURLをコピーしました