【滋賀・彦根】埋木舎と井伊直弼 ─ 桜田門外の変と補欠人生の真実
プロフィール
こんにちは、マスク美人タクドラのRiccaです。
桜田十八烈士の婚籍の姪という因縁を背負いながら、井伊直弼の人物像を追って滋賀・彦根を旅しています。
今回は、直弼の人生観が詰まった「埋木舎(うもれぎのや)」を訪れ、幕末の激動と彼の人間らしさを見つめます。
わたしと埋木舎
「井伊直弼=桜田門外の変で暗殺された大老」という印象しかなかった私。
ところが漫画『風雲児たち』で彼の生涯を知り、埋木舎への興味が一気に高まりました。
藩主の子でありながら、補欠(部屋住み)として生きる直弼が、自らの人生を皮肉り「埋木舎」と名付けたユーモラスさに惹かれたのです。
井伊家の「スペア」文化
井伊家は幕府からの信頼が厚く、他家からの養子を許さない家風を貫いてきました。
そのため、家を絶やさぬよう10人以上の弟(スペア)を持つことも珍しくなかったのです。
直弼もその一人。
しかし彼は、ただの控えに甘んじる人物ではありませんでした。
井伊直弼の人間性
部屋住みの立場から一転、彦根藩主、そして幕府の大老(総理大臣相当)にまで登りつめた直弼。
しかし政治家としての決断力には、いまだ謎が多いと感じます。
安政の大獄での厳しい弾圧も、直弼本人の冷酷さより、周囲の家臣や情勢に翻弄された面があったのではないかと考えるのです。
埋木舎を訪ねて
初めて埋木舎を訪れた9月、彦根城の堀は抹茶色に染まっていました。
「茶歌鼓(チャカポン)」と揶揄された彼は、茶道・和歌・鼓など芸事に打ち込み、心を鍛え続けた人物です。
この場所から空を仰ぎ、「直弼にとっての幸せとは何だったのだろう?」と考えずにはいられませんでした。
直弼の政治と弱さ
将軍継嗣問題、条約調印問題を鮮やかに解決した直弼ですが、その裏で安政の大獄という悲劇も起きました。
「決断力のある人物だったのか?」
「本当に彼が独断で動いたのか?」
私は、直弼の人間的な弱さ、脆さ、そして周囲に振り回された影も見てしまいます。
Riccaコラム
埋木舎を前に歩きながら、「補欠人生から大老へ」と駆け上がった直弼の人生に、どこか現代の組織社会と重なるものを感じました。
控えだった人が、ふとした瞬間にトップになるときの孤独と葛藤。
そんな人間臭さこそ、直弼の魅力だと強く感じます。
ワンポイントアドバイス
埋木舎は彦根城の南側、徒歩約15分。
外観だけの見学となりますが、庭越しに見る建物は趣があります。
周囲は静かで、写真映えする穴場スポットです。
まとめ
井伊直弼の人生観が刻まれた埋木舎は、彼を知るうえで外せない場所。
政治家・大老としてだけでなく、一人の人間としての直弼を考えるきっかけをくれます。
幕末史に興味がある人は、彦根城とあわせて訪れることをおすすめします。
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