【滋賀・彦根】村山たかの影と安政の大獄 ─ 幕末の愛と陰謀を辿る旅
プロフィール
こんにちは、マスク美人タクドラのRiccaです。
私は桜田十八烈士の子孫の婚籍の姪で、井伊直弼とは因縁深い関係(!?)。
さらに、元夫の名前が井伊直弼に似ているという偶然の巡り合わせもあり、直弼への興味は人一倍。
今回は、直弼と村山たかの恋物語、そして安政の大獄の影を彦根の埋木舎で追いかけます。
訪問先とアクセス
埋木舎(うもれぎのや)は彦根城南側に位置し、JR彦根駅から徒歩約15分。
井伊直弼が「部屋住み」として青春を過ごした場所であり、村山たかとの逸話もこの地と深く結びついています。
歴史・見どころ
村山たかは井伊直弼より6歳年上の女性で、直弼が深く惹かれながらも側室にはなれなかった存在です。
理由は、たかが14代藩主・井伊直亮の側室であったため。
兄の側室を弟が娶ることは許されず、二人は禁断の関係となりました。
さらに幕末の動乱期、直弼は安政の大獄を断行し、激しい批判と緊張の渦中にいました。
その心の支えとなったのが、たかだったのかもしれません。
旅の感想
埋木舎の茶室「澍露軒」に佇むと、直弼がたかへの想いを押し殺しながら茶道や武芸に没頭した姿が浮かんできます。
歴史の裏側にある、男と女の深い感情に胸が締め付けられるようでした。
Riccaコラム
安政の大獄と直弼の決断
幕府の権威を守るため、直弼は安政の大獄で徹底した処分を行いました。
その冷徹さの裏に、人間としての苦悩や迷いはあったはずです。
村山たかとの絆
歴史家の記録には「たかは直弼を離れない蜘蛛の糸のような存在」と書かれますが、私にはそれが純粋な情愛に見えます。
直弼が切ることのできなかった“最後の縁”が、たかだったのでしょう。
ワンポイントアドバイス
埋木舎は茶室「澍露軒」が見どころ。
茶道体験ができるイベントもあり、直弼の文化的世界観を味わえます。
訪問は平日が比較的空いていてゆっくり見学できます。
まとめ
村山たかと井伊直弼、そして安政の大獄という激動の歴史。
埋木舎は、彼らの愛と陰謀が交差した舞台。
幕末のドラマを感じながら、ゆったりと歴史散策を楽しんでみてください。
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