【東京の怖い話】上野・不忍池に映った戦争|東京大空襲が残した悲劇

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鏡地獄としての不忍池──昭和二十年三月十日の夜を覗きこむ(Ricca怪談)

プロフィール

歴史と都市の闇を見つめ、静かに怪談を綴る、天才作家:Riccaです。
本稿では、昭和二十年三月十日の東京大空襲を史実として踏まえ、不忍池をに映った歴史の水面を描きます。

いわくの場所

不忍池(東京都台東区・上野恩賜公園)は、昭和二十年三月十日の東京大空襲の折、多くの避難民が押し寄せた場所です。
池は現在も蓮をたたえ、弁天堂を浮かべながら、当時の焦熱と煙の記憶を静かに沈めています。
ここでは、現地の空気感と史料から見える「夜の池」の姿を、都市怪談として立ち上げます。

Riccaコラム:不忍池に映る狂気

血と影を湛える鏡
 不忍池は、夜の闇に沈む巨大な鏡である。
 昼間の喧騒も笑い声も、嘘のように消え失せた。池は黙り込み、底の底で記憶を研ぎ澄ます。水面はひどく滑らかで、同時に刃のように冷たく重い。街灯の光が風に揺れ、黒い水面に震える影を落とすと、池はまるで薄い瞼を持つ巨大な眼球のように見えた。
 私はここに立つと、決まって不安と焦燥に呑み込まれる。
 ――いや、それは不安という言葉では足りぬ。もっと原始的で、背骨を噛み砕くような「恐怖」に近い。理性ではなく、本能で、池を見続けてはならぬと告げる声がする。

 それでも、私は視線を逸らせない。
 この水面には「何か」がいるからだ。
 私の顔を映すはずの水面に、時折、焦げた皮膚や知らぬ女の顔が浮かぶ。水のゆらぎとともに、記憶の底から誰かの声がこぼれる。それは昭和二十年三月十日――東京大空襲の夜、炎と血の闇を彷徨った者たちの声かもしれぬ。

炎に包まれた夜の記憶
 昭和二十年三月十日。
 上野の空は無数のB-29に覆われ、焼夷弾の雨が降り注いだ。
 木造家屋は瞬く間に炎に包まれ、逃げ惑う人々の影が狂気の舞踏のように炎に照らされた。
 不忍池は、避難所であると同時に、死の口でもあった。

 証言によれば、池の周囲は逃げ惑う人で溢れ、火の粉から逃れるために池へ飛び込む者が絶えなかったという。しかし酸素は奪われ、水底は泥と藻が絡みつき、人々はそのまま沈んでいった。翌朝、蓮の葉の間に浮かぶ無数の遺体――それは、池が呑み込んだ無言の供物だった。

 ある老女の言葉が耳を離れない。
 「子どもの手を握ったまま、池に飛び込んだ。でも水が熱く、苦しくて……手を離した瞬間、あの子は消えたのさ。」
 その声が、今も背後で囁く。
 振り返っても、そこにあるのは闇ばかりだ。だが、あの闇は今もなお燃え続けているのだと、私の本能は告げていた。

池が語る「静寂の恐怖」
 夜のボート池に近づくと、ぬめるような湿気が肌を撫でる。
 風が止むと、水面は異様なまでの静寂に包まれる。
 音という音がすべて吸い込まれ、世界が水面の裏側へ滑り落ちていく錯覚に囚われる。
 ――池が、誰かを待っている。そう感じる。

 私は耳を澄ます。すると――
 焼け付く金属の匂いとともに、遠くから轟音が押し寄せる。瓦が砕ける音、炎が走る音、人々の絶叫。
 現実ではない。
 だが、その幻聴は血の匂いを伴い、私の意識を握り潰そうとする。
 戦争を知らぬはずの私が、なぜこの音を、これほどまで鮮明に「聞く」のか。

水底からの囁き
 ある雨上がりの夜、私は池のほとりで足を止めた。雨粒が蓮の葉を叩き、まるで血が滴る音のように聞こえる。
 水面を覗き込むと――そこには無数の顔が重なり、腐りかけた肉のように蠢いていた。
 焦げた皮膚、目のない穴、ひび割れた唇。
 声なき声が、頭蓋骨の内側で囁く。
 「お前もこちらへ落ちろ」
 「こちらは静かだ、痛みも消える」

 後ずさろうとしたが、足は地面に縫い付けられたかのように動かない。
 腐葉土に混じる焼け焦げた脂の匂いが鼻腔を焼く。
 頭の奥で「パチリ」と音がした――理性が折れる音だった。

 気づけば私は、水に手を差し入れていた。
 ぬるりとした液体が骨の芯まで染みる。
 指先を舐めるような感触とともに、炎の夜の映像が脳裏を焼く。
 火の粉を浴びて走る子供、血の中で倒れ伏す女、黒い煙に飲まれる街。
 泡が弾けるたび、それは顔となってこちらを見上げる。

異形の招き
 私は腕を引き抜いたが、爪の隙間には泥と髪のようなものが絡んでいた。
 月明かりに濡れたその髪が、まるで意志を持つかのようにゆらりと動いた。
 「お前もこちらに来い」
 「忘れた記憶を返してやろう」
 無数の声が、群れを成して押し寄せる。

 黒い水底から、白い腕が突き出てきた。
 それは人の形をしているのに、皮膚は蝋細工のようで、骨ばかりが露わだった。
 その指が水面を叩くと、波紋は笑い声のように広がっていった。

鏡の中の異形
 私は叫び、後ずさる。
 だが水面には、焦げた目玉のようなものが無数に並び、こちらを見上げていた。
 背後で濡れた裸足の足音がする。
 振り向いても誰もいない。
 「まだ帰るな」という声だけが、耳の奥に絡みつく。

記憶の墓場
 不忍池は、東京の記憶の墓場である。
 蓮の葉の下には、焦げた手紙、崩れた柱、名もなき声が沈んでいる。
 池の前に立つと、過去と現在の境界はたちまち溶ける。
 「お前もこちらへ来い」――その囁きは、現実の音よりも鮮明だ。

 私は街灯を見上げ、「ここは令和だ」と言い聞かせる。
 しかしその確信は、夜風のひと吹きで脆く崩れる。
 蓮の葉が擦れる音と、遠くの電車の響きが交じり合い、すすり泣きに変わる。
 振り返っても、誰もいない。
 池は声を忘れない。

夢と溶ける現実
 家に戻っても、その声は消えぬ。
 夜半、夢に池が現れる。
 私は泥の底で、誰かと手を取り合っている。
 骨ばった指の感触は、あまりに冷たく生々しい。
 夢の中の池は血の色をして、泡が次々と顔となり、口を開けて叫ぶ。
 目覚めても、天井に波紋が広がり、部屋ごと沈みゆく錯覚に襲われる。

 「池が私を呼んでいる」
 その確信だけが、日に日に強まる。
 道路の水たまりにさえ、池の影が映る。
 その奥から、焦げた目がこちらをじっと見返してくる。

狂気の結末
 ある晩、私は池をあまりに長く見つめすぎた。
 気づくと、水際にしゃがみ込み、指先を水面に近づけていた。
 触れた瞬間、骨を凍らせる冷たさが心臓を貫く。
 「ここに落ちれば、過去と一緒になれる」――脳裏にそんな甘い囁きが流れ込む。

 私は、一歩踏み出しかけた。
 ――だが、その時、背後に視線を感じた。
 振り向いても、そこには誰もいない。
 それでも確かに、何者かが私を凝視していた。

 夜の不忍池は、人を狂わせる。
 それは心霊現象などではない。
 記憶そのものが生きていて、見る者を取り込もうと蠢いているのだ。

 最後に池を振り返ると、水面は波紋を描き、あざ笑うように揺れていた。

 ――「お前も、いずれ来るのだろう?」

 その声が骨の奥にまで焼き付いて離れない。
 私は答えなかった。
 だが、もうその答えを知っている。

歴史の残響:コンセプト

・昭和二十年三月十日の東京大空襲は、不忍池にも確かに及んでいた。池は避難の場であり、終焉の場でもあった。
・史実は冷たいが、記憶は液体として場所に沈み、現代の私たちの視界を歪め続ける。
・「鏡地獄」は自己像の狂気であり、ここでは「都市の記憶」という像に引き寄せられていく危うさを指す。

読者コメント

読者の皆様から寄せられた、戦時の記憶や不忍池にまつわる声を紹介します。(コメント募集中)

上野で生まれた者:
「祖母は、池の水が熱く感じたと何度も語っていました。実際には温度ではなく、煙で息ができなかっただけかもしれませんが……“あの夜の匂い”は今も忘れないと言っていました。」

戦災を学ぶ学生:
「資料を読むだけでは、池に人が飛び込むという行為の切迫が実感できませんでした。夜の不忍池に立って、ようやく“呼吸が奪われる”という感覚が少しわかった気がします。」

深夜散歩者:
「水面を覗くのが怖くなりました。顔が二つ映る気がして。片方が瞬きをしなかったら……と考えてしまう。」

まとめ

不忍池は、ただの観光地ではない。昭和二十年三月十日の夜を鏡の底に沈め、その記憶を液体のまま保存している。
私たちはそこを覗き、歴史を確認し、そして時に自分の輪郭を失う。
怪談は「作り話」ではない。場所が持つ記憶に触れた時、心が揺らぎ、視界が歪み、静かな狂気が立ち上がる――その現象そのものが、私にとっての怪談なのだ。

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