Riccaと巡る神社仏閣|北海道護国神社を知る

北海道

プロフィール

平和を書きたいブロガー:Riccaです。神社仏閣をめぐり、祈りや歴史、そこに宿る想いを言葉にしています。

場所

旭川の町は、雪が深くとも災害に強く、北海道の真ん中に位置する交通の要所です。中心街は活気に満ちていますが、川を渡ると静寂と冷たい空気が広がり、神社はその静かな川向こうに凛と立っています。

北海道護国神社は、旭川市花咲町1丁目2282‑2に鎮座しています。JR旭川駅からバスで約15分とアクセスも便利で、駐車場も整備されています。

北海道護国神社とは

1902年(明治35年)、第七師団長・大迫尚敏中将の招魂祭を契機に創祀され、昭和14年に「北海道護國神社」と改称されました。
境内面積は約16,651㎡と広大で、慰霊と平和祈願の場としてだけでなく、地域文化の象徴として今も多くの人々に親しまれています。

見どころ

境内には本殿のほか、「北鎮安全神社」「諸記念碑」「平成館」などがあり、戦没者への慰霊を象徴する「母の像」や「一木支隊鎮魂碑」が目を引きます。

春の桜、秋の紅葉など、四季折々の風景が美しく、厳かな雰囲気と自然の調和が魅力です。

現代における役割

毎年6月5日に例祭(慰霊大祭)が行われ、多くの参拝者が訪れます。

2023年には創祀122周年記念大祭も開催され、北海道護国神社は歴史・文化・平和祈願を結びつける地域の拠点として今も重要な役割を果たしています。

Riccaコラム

私は沖縄慰霊の日の翌日、沖縄護国神社の主催で、特別な巡礼に参加しました。

そこで、北海道護国神社の名誉宮司さま、権禰宜さん、巫女さんとご一緒する機会をいただきました。

沖縄戦で犠牲となった方々の中で、最も多いのは沖縄県民。ですが、次に多く命を落としたのは北海道出身の兵士たち。その慰霊のため、最北端の北海道からお越しになったと伺いました。

特に心を打たれたのは、名誉宮司さまが慰霊碑の前に立たれた時の姿です。

慰霊碑の裏を喰い入るように見つめ、「ここに刻まれている名前の多くは、私がよく知る方たちばかりだ」と、声高々におっしゃるのです。

そのお姿は、まるで遠く離れた場所でようやく会えた家族を見つけたかのような深い想いが伝わってきました。その瞬間、護国神社の神職の皆様方にとっての慰霊、崇高さを感じたのです。

また、若い権禰宜さんが名誉宮司さまに細かく質問されている姿も印象的でした。世代を超えて寄り添い、思いを受け継ぐ姿に、護国神社の尊さを見た気がします。

名誉宮司さまは90歳超、これが最後の沖縄訪問になるかもしれないとおっしゃっていました。さらに7月には、北海道出身兵士が多く命を落としたガダルカナル島に赴き、一木支隊の慰霊を行う予定とのこと。

この北海道護国神社、毎年6月5日には慰霊大祭があります。そして6月23日の沖縄慰霊の日。末日には夏越の大祓。

その翌日、7月からはガダルカナル島へ向かうなんて!そのハードスケジュールを聞いたとき、私はただ驚くばかり。

名誉宮司さまは脚に痛みを抱えながらも、平和と祈り(慰霊)のために全力を尽くすそのお姿。私は、言葉にならないほどの敬意を覚えました。

1945年の沖縄戦では、北海道出身者が最も多く配属された第24師団が主力として戦い、悲しくも沖縄県民に次ぐ1万8000人以上の犠牲を出しました。

特に旭川を拠点とした歩兵第89連隊は、第24師団の一部として沖縄戦に赴き、大きな被害を受けています。

その一方で、第二次世界大戦初期の1942年には、一木清直大佐率いる「一木支隊」がガダルカナル島に派遣されました。

旭川第7師団を母体に編成された精鋭部隊で、満州事変やノモンハン事件にも参加した歴戦の勇士たちです。漫画・アニメ好きな人にはピンときたかもしれませんね。そう、第7師団は【ゴールデンカムイ】の鶴見中尉や尾形が所属する、屈強な軍団です。

しかし、このとんでもなく強い第7師団も、上陸直後の短期間で壊滅状態となり、916名中777名が戦死したのです。

護国神社の神職の方々がどれほどの想いを持ち、今も慰霊を続けているのか。その一端に触れたことで、私は「平和を伝えること」の重さと尊さをあらためて感じました。

御祭神

北海道および旧樺太に縁のある国事殉難者が祀られています。 合祀された戦没者数は約63,158柱です(令和2年時点)。

御由緒

北海道護国神社の歴史は、1902年(明治35年)に始まります。屯田兵をはじめとする戦没者を慰霊するため、第七師団によって第一回招魂祭が執り行われたことが創祀のきっかけとなりました。

その後、1910年から1912年にかけて社殿が整備され、旭川の地に正式な招魂社が建立されます。昭和に入ると、国家の護国神社制度の改変に伴い、1939年に「北海道護國神社」へと改称されました。

戦後はGHQの神道指令によって社名変更などの影響を受けましたが、1951年に現在の名称に復し、慰霊と平和祈願の象徴として再び地域の人々に親しまれています。

このように、北海道護国神社は戦争の歴史を背負いながらも、今もなお静かに英霊を祀り、平和の大切さを伝え続ける存在です。

読者コメント

北海道護国神社に訪れた際の感想や印象を、ぜひコメントでお聞かせください。

まとめ

北海道護国神社は、英霊を祀り平和を願う心を未来へ繋ぐ大切な場です。旭川の自然と歴史が息づく境内で、静かに祈りを捧げてみませんか。

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