【滋賀・彦根】村山たかと埋木舎の恋文 ─ 茶歌鼓・直弼の胸に咲いた椿の花

彦根(湖東)

【滋賀・彦根】村山たかと埋木舎の恋文 ─ 茶歌鼓・直弼の胸に咲いた椿の花

プロフィール

幕末の恋と歴史にときめくマスク美人、Riccaです。
私は桜田十八烈士の子孫の婚籍の姪という因縁を持ち、さらに元夫の名前が井伊直弼にそっくりという妙な縁が。
今回は、井伊直弼が宛てた恋文や、芸事に秀でた村山たかとの物語を埋木舎で辿ります。

訪問先とアクセス

埋木舎(うもれぎのや)は彦根城の南側、JR彦根駅から徒歩15分ほどの場所にあります。
庭園には椿の木があり、直弼が愛した茶道の世界を感じることができます。

歴史・見どころ

井伊直弼は、1832年から約10年をこの埋木舎で過ごしました。
その間、直弼は村山たかという女性に恋文を送り、和歌を詠むなど芸事に打ち込んでいました。
茶道や和歌に優れた村山たかは、美貌と教養で直弼を魅了したといわれています。
茶歌鼓(チャカポン)と呼ばれるほど芸事に熱中した直弼の文化的な一面が垣間見える場所です。

旅の感想

埋木舎の庭に咲く椿を眺めながら、直弼が詠んだ和歌や恋文を思い出すと、彼の心の柔らかい部分が見えてきます。
禁断の恋を抱きながらも茶道や武芸に精進した彼の姿に、人間味を感じました。

Riccaコラム

恋文と和歌
井伊直弼は27歳の頃、村山たかへこんな和歌を贈っています。

名も『たか』き 今宵の月はみちながら
君しをらねハ 事かけて見ゆ

【超訳】君と一緒に見た十五夜の月は美しかった。けれど今、君がいないと、どんな月も欠けて見える。

椿と直弼
椿の花は斬首のイメージから江戸時代には忌まれましたが、直弼は茶道で椿を愛でていました。
椿は、彼と村山たかの恋を象徴する花でもあると感じます。

ワンポイントアドバイス

冬から春先にかけて椿が咲く埋木舎は特に見応えあり。
館内は撮影禁止箇所があるため、外観や庭園を楽しむのがおすすめです。

まとめ

井伊直弼の恋文や椿の花から見える彼の人間的な魅力。
埋木舎は、彼の文化的な一面と恋の痕跡を感じられる貴重なスポットです。

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