【滋賀・彦根】桜田門外の変の真実 ─ 大老・井伊直弼の最期と幕府の崩壊

彦根(湖東)

【滋賀・彦根】桜田門外の変の真実 ─ 大老・井伊直弼の最期と幕府の崩壊

プロフィール

昭和のマスク美人、Riccaです。
私は桜田十八烈士の子孫の婚籍の姪であり、井伊直弼には妙な縁を感じています。
離婚した元夫の名前が井伊直弼にそっくりという笑えない偶然まで背負いつつ、今回は歴史に名を刻む桜田門外の変を彦根視点で語ります。

訪問先とアクセス

彦根観光の拠点である彦根城埋木舎はJR彦根駅から徒歩圏内。
桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の出発点でもある彦根を歩くと、事件の重みが一層感じられます。

歴史・見どころ

桜田門外の変は安政7年3月3日(1860年3月24日)に江戸城桜田門外で発生した事件。
時の大老井伊直弼が、水戸浪士と薩摩藩士ら18名(桜田十八烈士)に襲撃され、銃弾と刀で命を落としました。
事件後、幕府は直弼の死を病死と発表し、動揺を隠そうとしましたが、世間の失笑を買い、幕府の威信は大きく失墜しました。

旅の感想

直弼が歩いた彦根城下の道を歩くと、彼がいかに幕末の激動を背負っていたかを肌で感じます。
静かな城下町とは裏腹に、桜田門外の変が当時の社会を大きく揺るがしたことを改めて実感しました。

Riccaコラム

幕府の失墜
今で例えるなら、総理大臣が官邸前で襲撃されるような衝撃。
幕府は直弼の死を隠すことで事態を収束させようとしましたが、それは逆に幕府の弱体化を世間に露呈する結果となりました。

会津と彦根の行方
井伊家は京都守護職を外され、代わりに会津松平家がその役を担うことになります。
歴史を振り返ると、もし彦根が守護職に留まっていたら、会津の悲劇はなかったかもしれない… そんな歴史の“もしも”に思いを巡らせます。

ワンポイントアドバイス

彦根城と埋木舎を巡るだけでも、桜田門外の変の背景が立体的に見えてきます。
春先には城下の桜並木が美しく、歴史と花見の両方を楽しめるシーズンです。

まとめ

桜田門外の変は幕末の転換点となる事件。
大老・井伊直弼の最期を知ることで、幕末史の深いドラマが見えてきます。
彦根観光の際は、歴史の舞台裏を思いながら散策してみてください。

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