【滋賀・彦根】天寧寺と五百羅漢堂 ─ 井伊直中・若竹・井伊直弼の供養塔を巡る旅

彦根(湖東)

【滋賀・彦根】天寧寺と五百羅漢堂 ─ 井伊直中・若竹・桜田門外の変を辿る旅

プロフィール

マスク美人、タクドラのRiccaです。
幕末史が大好きで、井伊直弼の足跡を追う旅を続けています。
今回は、彦根の歴史を語る上で外せない天寧寺五百羅漢堂を訪ね、井伊家の悲話や桜田門外の変にまつわる供養塔に出会いました。

彦根を訪れた理由

彦根を訪れるのは今回で2度目。
前回は井伊直弼の居所「埋木舎」だけを見て東京へ戻りましたが、調べるほどに魅力が深まり、再び訪れることにしました。
今回は、彦根城だけでなく、直中・若竹の悲しい逸話が残る天寧寺を巡るのが目的です。

天寧寺の由来と逸話

天寧寺は、もともと宗徳寺として井伊直政が実母の供養のために建てた寺。
11代藩主・井伊直中の戒名「観徳院殿 天寧 宏輝大居士」にちなみ、現在の名になったといわれます。
直中は仏教心が篤く、豪徳寺・清涼寺・仙琳寺などを支援しました。

若竹の悲話

直中の侍女若竹が子を宿したことが発端でした。
直中は不貞と判断し若竹を処刑。しかし後に、それは直中の長男・直清の子であったことを知ります。
不殺生戒を重んじた仏教徒である直中が、この決断にどれほど苦しんだか…
直弼も父への追慕を著作「仏道発心の弁」で綴っています。

五百羅漢堂

「亡き親、子供、いとしい人に会いたくば五百羅漢に籠れ」
そんな言い伝えが残る五百羅漢堂では、訪れる人が求める顔を必ず見つけられるといいます。
今回は閉堂間近で叶いませんでしたが、次回はじっくりと拝観したいと思います。

井伊直弼の供養塔

桜田門外の変(1860年)で暗殺された井伊直弼。
家臣たちは彼の血が染みた土を中山道450kmを越えて彦根へ運び、天寧寺に供養塔を建てました。
その量は四斗樽4つ分(72L×4)とされ、家臣の無念と忠義の深さが伝わります。
ここからは、琵琶湖がきらめく美しい景色が一望できます。

Riccaコラム

天寧寺の供養塔を前に、直弼が「赤鬼」と呼ばれながらも彦根の人々に英雄と慕われていることを感じました。
歴史の中で誤解された人物像が、今も静かに語り継がれているように思います。

ワンポイントアドバイス

天寧寺は彦根駅から徒歩約20分(約1.3km)。
「天寧寺 五百羅漢堂」と検索しないと他県の天寧寺が出ることがあるので注意。
坂の上にありますが、比較的緩やかで散策しやすい道のりです。

まとめ

井伊家の悲話や幕末の歴史が眠る天寧寺は、彦根観光でぜひ訪れたいスポット。
五百羅漢や供養塔を前にすると、歴史がぐっと身近に感じられます。

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