【沖縄・おもろまち】知られざる沖縄戦の激戦地「シュガーローフヒル」 ─ 那覇の街に眠る戦跡を歩く旅

プロフィール

歴史大好き、東京タクドラ:Riccaです。普段は東京でタクシードライバーをしていますが、休日には全国各地の歴史スポットを訪ね歩いています。今回は沖縄県那覇市にある「すりばち丘(シュガーローフヒル)」を歩いた体験をシェアします。

場所・アクセス

「すりばち丘(シュガーローフヒル)」は、那覇市の中心地・おもろまち駅から徒歩5分ほどの場所にあります。駅前にはショッピングモールや免税店、ブランドショップが立ち並び、一見すると戦跡とは無縁に見える華やかなエリアです。その一角、高台に静かに碑が建っており、そこが沖縄戦の激戦地「シュガーローフの戦い」の跡地です。

見どころ

沖縄戦の中でも特に激しい戦闘が繰り広げられたのが、ここ「シュガーローフヒル」。標高わずか数十メートルの丘をめぐり、1945年5月12日から約10日間、日本軍とアメリカ軍が死闘を繰り広げました。頂上の占領は日々入れ替わり、一日で4度も両軍が奪い合ったといわれています。今は静かな住宅地やショッピングモールに囲まれていますが、その地下には数えきれないほどの遺骨が眠っていると伝えられています。

Riccaコラム:戦跡を歩いて感じたこと

はじめに

沖縄を訪れるたびに感じることがあります。それは「青い海や南国の空気に癒される沖縄」と、「戦争の記憶を今に残す沖縄」が、ひとつの島に共存しているということです。今回の記事では、那覇市おもろまちにある「すりばち丘(シュガーローフヒル)」を訪れた体験を中心に、旅行記と歴史を交えてご紹介します。

シュガーローフヒルとは?

「シュガーローフヒル」という名前を聞いたことがあるでしょうか。沖縄戦において激戦地のひとつとなった小高い丘で、アメリカ軍がその形を砂糖菓子(シュガーローフ)に例えて呼んだことから、この名がつきました。日本軍は標高にちなんで「52高地」、また「すりばち丘」とも呼びました。

この丘は1945年5月12日から約10日間にわたり、日米両軍が激しく争奪戦を繰り広げた場所です。1日に4回も頂上の占有が入れ替わるほどの死闘で、日本軍だけでなくアメリカ軍にも甚大な被害をもたらしました。戦死者に加え、精神疾患者が1000人を超えるほど、その戦いは兵士たちに深い恐怖を残しました。

おもろまちに残る「戦跡」

現在、シュガーローフヒルは那覇市の中心地・おもろまちにあります。最寄り駅である「ゆいレールおもろまち駅」から徒歩5分。私が訪れたのは2022年6月25日。駅を出てから、方向感覚の鈍い私はショッピングモールを一周してしまい、ようやく目的地にたどり着きました。

おもろまちの街並みは近代的で、ハイブランドの店舗や大型免税店、広い道路が整然と並び、戦争の痕跡を感じさせません。その一角にひっそりと「戦跡の碑」が建っているのです。

同行した沖縄在住の友人は、「おもろまちって高級ブランド店のイメージしかなかった。戦跡があるなんて知らなかった」と言いました。たしかに、観光ガイドブックにはほとんど載っていないため、初めて知る方も多いでしょう。

具志堅隆松さんの言葉

私がこの地を訪れて思い出したのは、沖縄戦で亡くなった人々の遺骨収集活動を続けている具志堅隆松さんの言葉です。具志堅さんは「おもろまちは多くの御遺骨の上にコンクリートを流し固めた、吐き気のする町」と表現しました。その言葉を、碑の前に立って初めて実感しました。華やかな街並みの下には、まだ帰ることのできなかった多くの人々の魂が眠っているのです。

戦場としてのシュガーローフ

アメリカ兵の記録にこんな一節があります。

「君たち(日本兵)は武器がなかったんだもんね。同じ戦力なら僕たちの負けだった」

この言葉からも、当時の戦いがいかに苛烈であったかが伝わってきます。兵士は武器を手に戦いましたが、それが「自ら選んだもの」だったのか「持たされたもの」だったのか、今となってはわかりません。

私がシュガーローフの碑の前に立ったとき感じたのは、特攻隊員を想うときに似た深い悲しみでした。勝ち目のない戦いに投じられ、命を落とした人々の心情を想像するのは容易ではありません。

遺骨発掘と民間人の犠牲

具志堅さんの活動に関する本には、こんなことも書かれています。沖縄中部で発掘される遺骨の多くは軍服をまとった兵士のもの。しかし南部に進むほど、民間人の遺骨が目立つのです。戦争に巻き込まれ、命を落としたのは兵士だけではなく、多くの市民でした。

今回は民間人の悲劇について深く触れませんが、この地を訪れるとき、忘れてはならない視点だと思います。

観光地としての側面と学び

現代のおもろまちは「沖縄新都心」と呼ばれるエリアで、観光客にとっても人気のスポットです。大型ショッピングモール、免税店、カフェ、ハローワーク、配水タンクなど、生活の機能が凝縮した街。その一角にある小さな丘を訪れると、華やかな日常の裏に重い歴史が刻まれていることを実感します。

旅をしながら学ぶことの意義は、まさにここにあります。「楽しむ沖縄」だけではなく、「知る沖縄」を体験することで、旅はより深いものになるのです。

戦跡を歩くことの意味

沖縄戦をテーマにした本を読むと、日本軍を批判する内容も少なくありません。けれども私は、戦争を「加害者と被害者」に単純に分けたいわけではありません。大切なのは、戦争の犠牲となった人々の心を想像し、未来に同じ悲劇を繰り返さないことだと考えています。

戦艦大和を敬意をもって語る沖縄の人々、遺骨を掘り起こし続ける人々、碑の前で静かに手を合わせる人々。その姿に触れるたび、戦争史跡は単なる過去ではなく、今を生きる私たちへの問いかけなのだと思います。

おわりに

シュガーローフヒルを歩き、私は改めて「旅は歴史を学ぶ入口になりうる」と感じました。沖縄戦の記録や遺跡を訪ねることは、責任追及ではなく「そもそも戦争をなくすために、私たちは何を考えるべきか」を考える時間でもあります。

沖縄、戦跡を巡る旅はまだ始まったばかりです。これからも現地を訪れ、本を読み、人々の声を聞きながら、少しずつ沖縄の歴史を学び続けたいと思います。

続く。🔜

アドバイス

戦跡は観光地化されていない場所も多く、周囲の景色や雰囲気とのギャップに驚くことがあります。訪れる際は現地の空気を静かに感じ取り、写真撮影も控えめにすると良いでしょう。また、周辺は住宅地や商業施設が多いため、地図アプリを活用して迷わないようにするのがおすすめです。

読者コメント

沖縄の戦跡を訪れたことがある方、これから行きたいと思っている方、ぜひコメントで教えてください。「実際に行ってどう感じたか」「旅行のコツ」など、皆さんの体験談をシェアしていただけると嬉しいです。

まとめ

先入観とは違った町の姿を体感できました。ショッピングモールの華やかさと、戦跡の静けさ。その対比が沖縄ならではの歴史の重みを感じさせます。
次回は、那覇市内の別の戦跡を歩いてみます。→ 沖縄戦跡を巡る旅はこちら

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